郷ノ浦町花火大会の歴史

(昭和55年8月の「壱岐日報」)
昭和50年代まで、郷ノ浦町花火大会は、郷ノ浦町商工会主催で開催されていました。
当時は、仕掛け花火や水中花火など、約1,000発が弁天崎公園から打ち上げられていたようで、「納涼花火大会」の前には二日間、「盆踊り大会」が行われていました。昭和のにぎやかな郷ノ浦の街が目に浮かびます。
昭和56年には広告が掲載されていないことから、昭和55年まで花火大会が実施されていたようです。
(花火大会の中止は、昭和55年の花火大会観覧中に起きた水難事故がその理由とされています。)
こちらは、平成6年8月1日に郷ノ浦大橋が開通した時の「壱岐日報」です。記事の最後に「夜は郷ノ浦商工会の開通記念花火大会が華やかに行われる。」とあります。
この日以降、平成30年8月11日まで郷ノ浦の町に花火が上がることはありませんでした。郷ノ浦大橋開通記念花火からすると24年ぶり。昭和55年の郷ノ浦納涼花火大会から数えると実に38年ぶり花火となりました。
(2018.1、ドキュメンタリー映画「LIGHT UP NIPPON」上映会)
時は流れ、2018年1月に私たちは全国で一斉に花火を打ち上げる「LIGHT UP NIPPON」という活動に出会い、郷ノ浦花火を復活することとしました。
実行委員会を立ち上げ、花火大会の経験がまったくない「0」からのスタート。
しかも、その当時、花火が上がっていた「弁天崎公園」は、市の条例変更で「火気厳禁」となっていましたが、壱岐市長様はじめ、市や県の行政の皆さまと何度も打ち合わせ、2018年8月11日になんとか花火を打ち上げることができました。
この活動を通して、壱岐島の若者が世代や垣根を超えて協力することの大切さを実感すると共に、新たな郷ノ浦町花火大会の歴史が幕を開けました。